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セミナーでのすべてにありがとう


 仙台一高前期選抜合格(長町中卒)

中学卒業と同時に、この「作文朗読教室」も卒業となる。

思えば、ぼくのセミナー入塾にはドラマがあった。今や恒例となった「春の授業見学会」だが、ぼくも四年前母親に連れられ、この見学会に出席した。初めて耳にする古文。全員が暗唱して堂々と発表していた。その段階で僕は強い衝撃を受けた。なぜなら、その中には明らかに自分より年下と思われる子がいたからだ。その年下らしき子たちも、物おじせず大きな声で「聞いてください」と言わんばかりに朗読していたのだ。さらに、一人ずつの作文発表でも朗読力もさることながら、表現力においても圧倒的な力を見せつけられ、ぼくはその段階で、自分には到底無理だと結論を出していた。その頃の僕は、作文が書けないだけでなく、引っ込み思案でもあった。そんな自分が、百八十度違う世界に入って、やっていける訳がないと決めつけていた。

家に帰ってからも、入塾を強く勧める母に僕は頑として「無理!」の一点張りだったのをはっきり覚えている。母も頑なな僕の態度に根負けし、仕方がないといったんは諦めたのだった。「息子が、どうしても作文朗読教室は自信がないと言っている。他の国語の講座で少し慣れてから、入れさせるのはどうか…」と電話した母に、「最初から自信を持って入ってくる子はいません。この環境で学ぶからこそ成長するんです。目先ではなく、将来のことまで考え、結論を出して下さい。それを考えるのが親なんです。それに、この講座は途中入塾は出来ません!」というようなことを先生はきっぱり言ったのだそうだ。今思えばいかにも厳しい蛎崎先生がいいそうなせりふだ。その後、母のどこかにスイッチが入ったとしか思えない。有無を言わせない母の迫力に僕は従わざるを得なかったのだ。そんな僕の入塾のエピソードを、先生は時々笑いながら、後輩たちに語るけれど、僕としては正直あまり弱みを見せたくはなかった。

でも、今ならあえて本音で言いたい。もしあの時、先生が母にあのようなきっぱりとした口調で決断を迫らなかったら……。もしあの時、母も僕の頑固さに負けて入塾を断念していたら……。そう、セミナーの「作文朗読教室」に入らなかったら、今の僕の成長はなかったと、はっきり言える。やりもせずに最初から諦めていたら、それは自分に負けたということだ。諦めた時点で、成長がない。後輩たちは、僕が何でも出来ると思っているらしいが、それは違う。入塾前の僕は、不安だらけで自信のかけらも持ち合わせていなかった。でも、負けん気だけは強かった。やるからには絶対上を目指そうと思った。学校では、委員長を、部長を務め、伝統ある合唱団にも入り、過酷な練習の日々を送り、体力的にも精神的にもきつい時期もあったが、そんな中でも、この教室の一員として、そしてリーダーとして、やるべきことに精一杯取り組んできた。最もきつい時期は、自分にとっての「試練」だと言い聞かせ、必死だった。きつければきつい程、時間の使い方も工夫し、勉強にも手を抜かなかった。だから成績もそれなりに維持できていたのだった。

ところが、部活も合唱も引退し、時間に余裕ができたとたん、逆に勉強にかつてのような気合いが入らなくなっていったのだ。案の定、十二月の模試は最悪だった。特に得意なはずの英語がひどかった。「何をやってるんだ!こんな点で入れるほど一高は甘くはないんだぞ!」――蛎崎先生の「活!」で僕は目が覚めたのだった。確かに先生のいう通りだ。人は、ラクな方へとどんどん流されてしまうものだ。せっかく積み上げてきた努力も、一時の油断で台無しになるところだった。危うく、自分の夢を自分の手で断ち切るところだった。

それ以来、僕は気合いを入れ直し、かけ持ちしていて塾には行かず、冬期講習はすべてセミナーの講座を受講し、受験勉強に没頭した。そして、最後の模試で偏差値七十を出すことができた。だが決してそれで安心ではなかった。前期試験を受ける僕にとって、小論文という大きな壁が立ちはだかっていた。内申点や成績上位集団の中にあっては、この小論文が合否の分かれ目となる。先生の厳しい特訓に、僕は必死に喰らいついていった。高得点をねらえと、先生は、何と大学受験用の小論文の技を徹底的に僕たちに教えて下さったのだ。その何もかもを吸収しようと、僕は貪欲に学んだ。先生のその情熱指導がどんなに嬉しく、心強かったことか……。結果、倍率七倍という仙台一高の前期試験に合格!努力が報われた瞬間だった。

セミナーに入って、僕はどんなに鍛えられたことだろう。どんなに成長したことだろう。作文が苦手だった僕が、作文コンクールで、何度も大きな賞をいただいた。引っ込み思案だった僕がリーダーに選ばれ、みんなを引っ張ってきた。表彰の大ホールで自分の作文を朗読し、大勢の人に感動を届けることができた。国語を徹底的に鍛えた。その経験が、僕を成長させてくれた。今、僕ははっきりと言える。気持ちの持ち方でいくらでも自分を変えることができるということだ。

ここまで僕を鍛え、厳しく育てて下さった先生、今まで本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

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